はじまりは一人の市民の声から
「福岡市民会館に世界の名演奏家たちが、いくつもサインを残したピアノがあるらしい」―プロジェクトが始まるきっかけは、ある市民の声でした。
60年の時を経て老巧化が顕著となった市民会館の隣接地に、代わりとなる新しい拠点文化施設の建設が始まっています。声を寄せた市民は、新施設の完成後に市民会館は閉館して解体される計画であることから「貴重なピアノが人知れず廃棄されてしまうのではないか」と心配をしていました。
私たちはそんな声を耳にして、ピアノについて調べ始めました。ずいぶん以前に市民会館から福岡サンパレスホテル&ホールに移されたピアノが、そのままずっと保管されていることが分かりました。サインは38人分あることや、長い年月を経る間に、薄れたり、消えかかったりしていることも確認できました。苦労をしたのは、サインをした人物の特定です。
明確に判読できるごく少数を除けば、誰のサインなのかも不明の状況の中、個々のサインに見当をつけた音楽家のサインと照合したり、古い音楽雑誌の演奏会記録と突き合わせたり、といった作業を積み重ねました。サインを残したアーティストの多くは既に他界されています。幸いにご本人が存命で、じかに連絡がとれたエヴァ・オシンスカ氏は「確かに自分のサインです」と感激してくださいました。世界的にご活躍のフルーティスト工藤重典氏は「確かにわが師であるJ.P.ランパル先生のサインです」と仰って、当時の来日公演スケジュールや様々な情報を提供してくださいました。
こうした作業を積み重ね、サインの全容が明らかになってくると、調査に協力してくださった音楽関係者からも「貴重なピアノだ。文化遺産として守ろうじゃないか」という声が高まってきました。ピアノを所有する福岡市も趣旨を理解くださり、こうして「レガシーピアノ保存プロジェクト」が動き始めました。
プロジェクトが進んでいく中で、福岡市民会館の書庫から古い行事予定表が見つかり、サインの日付との照合作業を経て、38のサインのうち、不明サインは残すところ2つのみとなりました。中でも、1966年9月27日付のサインが、日本のクラシックピアノ界の草分け的存在である深沢亮子さんのサインであることが判明し、アーティストご本人からご自身のサインであることを証言いただけたことは、特別な出来事でした。
※修復の過程で、サインはさらに2つ増えて計40人分であることがわかりました。うち4人分が判読不明となっています。
ピアノの修復と活用について
この、1963年製のフルコンサートグランドピアノは、奥行き274㎝、横幅175㎝で、鍵盤は今ではとても貴重な象牙が使用されています。
60年に及ぶ経年劣化とともに、各所に運搬によるであろうと思われる傷が多数ありました。そして、ピアノの心臓部ともいえる響板に数か所のひび割れがあり、演奏に耐えうるものではないことがわかりました。
修復に関しては、様々な議論がありました。サインの残されたフレームのみ保存すればいいのではないか?ピアノの損傷部分のみ修復し、福岡の音楽史を語る遺物として博物館に保存・展示してもらえばいいのではないか?しかし、楽器は音を奏でてこそ息を吹き返し、修復の意味があるとの結論に至り、今回の大手術を行うことにしました。
修復後は、福岡の観光名所の一つである大濠公園の福岡市美術館に収蔵します。同館で定期的に展示公開し、楽器が辿ってきた歴史やサインを遺したアーティスト達について解説したパネル設置やリーフレット配布などで、このレガシーピアノの意義を広く知ってもらいます。また、一般の方々にご利用いただけるほか、演奏会や様々なイベントを通して、市民のための音楽普及活動に活用していきます。
レガシーピアノ保存プロジェクト実行委員会
実行委員会では、福岡市からピアノを借り受け、修復して返還する活動に取り組みました。
委員会のメンバー構成は次の通りです。
- 会長
- 柴田建哉 (西日本新聞社)
- 副会長
- 倉富純男 (九州経済連合会)
- 委員
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大久保昭彦(西日本新聞社)、川原武浩(ふくや)、久保田勇夫(西日本フィナンシャルホールディングス)
竹添賢一(NHK福岡放送局)、田中美江(ピアニスト/音楽教育者)、渡辺克(九州交響楽団)、吉田宏幸(福岡市)