【アフガンの地で 中村哲医師の報告】 ※西日本新聞への寄稿記事です。

【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】緑の地平線に希望重ね

 見渡す限りの小麦畑が果てしなく地表を覆う。緑の地平線がかなたの天空と接する。これを待っていたのだ。今、私たちPMS(平和医療団)の農場(約200ヘクタール)は、次々と訪れる豊作の予感に沸いている。

 クナール川からの用水路が開通して5年。多くの難関があった。砂嵐が一夜で作物を埋め、つぶす。気まぐれな洪水が表土を洗い流す。25キロ先の取水堰(ぜき)が洪水で壊れ、ガンベリ砂漠まで水が届かない。流域が荒廃すると、帰郷した農民は再び難民化する-。危機感が重くのしかかった。

 砂嵐には20万本の砂防林を延々5キロに植えて成長を待ち、取水堰は毎年改修を重ねて賽(さい)の河原のような努力を続けた。見通しがついたのは一昨年。長い抗争で手が付けられなかった対岸カシコート住民との和解が成った。取水堰の全面改修に着手。今年3月に「連続堰」が完成し、両岸の安定灌漑(かんがい)が保障された。PMSの「緑の大地計画」の頂点と言えるものである。

今こそ「支援」が必要

 アフガニスタンには私たちが想像するような「国家」がない。農村は割拠性が著しく、国家管理は隅々までは行き届かない。険しい渓谷に張り付く村落は荒波にもまれるフジツボの群れに似て、それぞれの世界をつくる。「アフガン首長国連合」が実体に近く、政治を決めるのが地縁と血縁である点は昔と変わらない。兵農未分化の中世社会とも言える。よく「治水灌漑(かんがい)の国家事業をなぜNGOのPMSがするのか」と聞かれるが、「小国家群との協力事業」と言った方が実情に合う。そんな土地柄なのだ。

 今、外国軍撤退が関心を集める。年末までに全軍撤退が予定され、その後を誰も予測できない。治安はこの30年で最悪だ。ニュースは欧米軍の誤爆、爆破工作、政治家の暗殺、米軍駐留をめぐる駆け引きがほとんどで、絶望的な状態だ。アフガン空爆(2001年)から13年余、何かが音を立てて崩れようとしている。もはや政府の実態はないと、みな感じ始めている。

 「無政府状態」とは無秩序な混乱を想像するが、そうでもない。小国家群の間で共通の文化と掟(おきて)のようなものがある。米軍占領下の政権が近代化を急ぎ次々と新制度をつくったが、一歩首都を離れるとうまくいかなかった。中央政府に期待される役割は、異なる地域・部族の利害調整を図り、公共事業や兵役を通じて一体感を強めることにある。

 国庫収入の多くを外国支援に頼る中央政府には、膨大な兵士、官吏、教師の給与を支えるゆとりがない。伝統社会との併存を図り、自治を温存してきたのは自然な成り行きだった。かつての外国支援も、こんな国情理解が前提だった。

 変わったのは最近だ。「先進国」がカネ中心の社会に変化した時期と一致する。生産より消費が奨励され、世界経済の動向が地域の小さななりわいを駆逐する。違いを許さぬ狭量な均質性が求められ、実を上げるより、いかに良く見せるかが関心となる。都合の悪い慣習や文化は国際的に集中砲火を浴び、弱者は利用価値を失うと置き去られる-。これがアフガンで見た現実であった。

 致命的な耕地の砂漠化や気候変動は、大きな話題にならない。完全自給に近かった農業生産が半減し、ただでさえ貧しい農村は瀕死(ひんし)の状態だ。占領下の秩序は、実は銃剣に伴う外貨流入で辛うじて保たれていた。食糧は作らずとも外国産を買えたからだ。この罪は重い。軍事介入の置き土産は、撤退に伴う食糧価格の高騰。飢えた人々が追い詰められた時を思うと、戦慄(せんりつ)せざるを得ない。「復興支援」が必要なのは今だ。農民がほとんどの地で自給率半減とは、半分の人々が生きる空間を失ったに等しい。

 だが、絶望はしない。希望はある。それは、温かく人を見守る自然のまなざしの中にある。眼前に広がる鮮やかな麦の緑がその実証だ。それが広大なアフガンのごく一隅であろうと、人の世界のどんな混乱をも相対化し、大地に根ざす安堵(あんど)を与える。

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 「アフガンの地で」は、アフガニスタンやパキスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表で、PMS総院長の中村哲医師(67)によるリポートです。


=2014/4/3付 西日本新聞朝刊=

中村先生が実践してきた事業は全て継続し、
彼が望んだ希望は全て引き継ぐ。

ペシャワール会会長 村上優氏 追悼の辞より抜粋