中村哲さんの意志を受け継ぎ
ペシャワール会を応援しましょう

中村哲さんの意志を受け継ぎ
ペシャワール会を応援しましょう

砂漠 (さばく) を緑 (みどり) にかえた
お医者 (いしゃ) さん

今 (いま) いる場所 (ばしょ) で、
自分 (じぶん) にできることを
いっしょうけんめいに

病気 (びょうき) になったときに病院 (びょういん) がなかったらどうしますか?
水 (みず) がないとあなたの生活 (せいかつ) はどうなりますか?
日本 (にっぽん) から遠 (とお) く離 (はな) れたアフガニスタンという国 (くに) には、病院 (びょういん) も水 (みず) もない
場所 (ばしょ) があります。
福岡 (ふくおか) 県 (けん) で生 (う) まれ育 (そだ) った中村 (なかむら) 哲 (てつ) 先生 (せんせい) というお医者 (いしゃ) さんは35年 (ねん) もの間 (あいだ) 、ここでくらす人 (ひと) たちを助 (たす) けるための仕事 (しごと) (人道 (じんどう) 支援 (しえん) )をしてきました。

しかし2019年12月 (2019ねん12がつ) 4日 (4か) 、中村 (なかむら) 先生 (せんせい) は仕事 (しごと) に行 (い) くとちゅうに誰 (だれ) かに銃 (じゅう) で撃 (う) たれて亡 (な) くなりました。
73歳 (さい) でした。

アフガニスタンでお医者 (いしゃ) さんとしてできることを精 (せい) いっぱいがんばっていた中村 (なかむら) 先生 (せんせい) は、「一隅 (いちぐう) を照 (て) らす」という言葉 (ことば) が好 (す) きでした。「一隅 (いちぐう) 」とは「かたすみ」のこと。もしかしたら、あまり目立 (めだ) たない場所 (ばしょ) かもしれません。「照 (て) らす」とは「光 (ひかり) をあてて明 (あか) るくする」こと。となりの困 (こま) っている人 (ひと) のためにやさしく力 (ちから) になってあげることで、あなたも、まわりの人 (ひと) も明 (あか) るい気持 (きも) ちになっていくでしょう。

<自分 (じぶん) が今 (いま) いる場所 (ばしょ) で、自分 (じぶん) にできることをいっしょうけんめいやりましょう>

「一隅 (いちぐう) を照 (て) らす」にはそんなメッセージが込 (こ) められています。

西日本新聞 (にしにっぽんしんぶん) は、中村 (なかむら) 先生 (せんせい) のこの思 (おも) いをお手本 (てほん) に、一人 (ひとり) 一人 (ひとり) が自分 (じぶん) にできることをすることが大切 (たいせつ) だと考 (かんが) えました。このウェブサイトは中村 (なかむら) 先生 (せんせい) の生 (い) き方 (かた) と勇気 (ゆうき) を学 (まな) ぶためのものです。中村 (なかむら) 先生 (せんせい) のことを書 (か) いた記事 (きじ) やアフガニスタンの写真 (しゃしん) を見 (み) ることができます。

「自分 (じぶん) にできることはなんだろう?」「どんな大人 (おとな) になろうかな?」

みなさんがそんな風 (ふう) に考 (かんが) えるヒントを見 (み) つけてくれればうれしいです。

「だれもそこに行 (い) かないから、
私 (わたし) たちが行 (い) くのです。
だれもしないことだから、
私 (わたし) たちがするのです」

Career

1946

福岡 (ふくおか) 市 (し) で生 (う) まれる

中村 (なかむら) 哲 (てつ) さんは、1946年 (ねん) に福岡 (ふくおか) 市 (し) で生 (う) まれました。子 (こ) どものころから自然 (しぜん) や昆虫 (こんちゅう) が大好 (だいす) き。大人 (おとな) になって医者 (いしゃ) となり、佐賀 (さが) 県 (けん) や福岡 (ふくおか) 県 (けん) の病院 (びょういん) で働 (はたら) きました。このころ、珍 (めずら) しいチョウを見 (み) たいと思 (おも) ってアフガニスタンとパキスタンの間 (あいだ) にある高 (たか) い山 (やま) に登 (のぼ) り、これらの国 (くに) が好 (す) きになりました。

1984

パキスタンの病院 (びょういん) へ

1984年 (ねん) 、パキスタンの都市 (とし) ペシャワールの病院 (びょういん) で働 (はたら) き始 (はじ) めました。担当 (たんとう) したのは、ハンセン病 (はんせんびょう) という病気 (びょうき) の診療 (しんりょう) 。病院 (びょういん) といってもちゃんとした道具 (どうぐ) はありませんでした。ピンセットはねじれ、聴診 (ちょうしん) 器 (き) も壊 (こわ) れていて、耳 (みみ) にはめるとけがをしたそうです。しょっちゅう停電 (ていでん) が起 (お) き、懐中電灯 (かいちゅうでんとう) で照 (て) らしながら手術 (しゅじゅつ) をしたこともありました。患者 (かんじゃ) もおんぶして運 (はこ) びました。同 (おな) じころ、中村 (なかむら) さんを応援 (おうえん) する人 (ひと) たちが集 (あつ) まって「ペシャワール会 (かい) 」という団体 (だんたい) もできました。

1991

アフガニスタンに診療 (しんりょう) 所 (じょ) を開 (ひら) く

パキスタンの隣 (となり) にあるアフガニスタンでは、戦争 (せんそう) が起 (お) きていました。中村 (なかむら) さんが働 (はたら) く病院 (びょういん) に来 (く) る患者 (かんじゃ) のうち半分 (はんぶん) は、そのアフガニスタンからパキスタンに逃 (に) げてきた人 (ひと) たちでした。
中村 (なかむら) さんは、医者 (いしゃ) がいない村 (むら) がたくさんあり、多 (おお) くの人 (ひと) たちが困 (こま) っていると知 (し) って、アフガニスタンに診療 (しんりょう) 所 (じょ) を開 (ひら) きました。

2000

水 (みず) がなくなり、井戸 (いど) を掘 (ほ) る

戦争 (せんそう) に苦 (くる) しんでいたアフガニスタンで、さらに大変 (たいへん) なことが起 (お) こりました。大地 (だいち) がからからに乾 (かわ) いて畑 (はたけ) は砂漠 (さばく) のようになり、大切 (たいせつ) な小麦 (こむぎ) がとれなくなったのです。「干 (かん) ばつ」というできごとです。水 (みず) もなくなり、子 (こ) どもたちは地面 (じめん) の泥水 (どろみず) を飲 (の) んでいました。体 (からだ) が弱 (よわ) り、多 (おお) くの人 (ひと) たちが亡 (な) くなりました。「病気 (びょうき) を治 (なお) す前 (まえ) にまず、水 (みず) が必要 (ひつよう) だ」。困 (こま) っている人 (ひと) たちを見 (み) かねた中村 (なかむら) さんは、井戸 (いど) 掘 (ほ) りを始 (はじ) めました。

2003

用水路 (ようすいろ) を造 (つく) り始 (はじ) める

井戸 (いど) を掘 (ほ) っていく中 (なか) で、井戸 (いど) の中 (なか) にある地下 (ちか) 水 (すい) がかれ始 (はじ) めていることに気 (き) づきました。どうすればいいのだろう。考 (かんが) えた末 (すえ) 、大 (おお) きな川 (かわ) から直接 (ちょくせつ) 、水 (みず) を村 (むら) に届 (とど) けるための通 (とお) り道 (みち) 「用水路 (ようすいろ) 」をつくることを決心 (けっしん) しました。難 (むずか) しい計算 (けいさん) をして準備 (じゅんび) し、何 (なん) 年 (ねん) もかけて大 (だい) 工事 (こうじ) をしなければなりませんが、医者 (いしゃ) の中村 (なかむら) さんは用水路 (ようすいろ) などをつくったことはありません。高校生 (こうこうせい) の娘 (むすめ) から教科書 (きょうかしょ) を借 (か) りて、苦手 (にがて) な数学 (すうがく) を一生懸命 (いっしょうけんめい) に勉強 (べんきょう) し直 (なお) しました。

2010

マルワリード用水路 (ようすいろ) が完成 (かんせい)

ようやく、一 (いっ) 本 (ぽん) の用水路 (ようすいろ) が完成 (かんせい) しました。名前 (なまえ) は「マルワリード」。地元 (じもと) の言葉 (ことば) で、真珠 (しんじゅ) という意味 (いみ) です。近 (ちか) くの村 (むら) には水 (みず) が行 (い) きわたり、小麦 (こむぎ) やオレンジ、大根 (だいこん) などいろいろな作物 (さくもつ) ができるようになりました。もともと砂漠 (さばく) だった場所 (ばしょ) までが緑 (みどり) に生 (う) まれ変 (か) わり、地元 (じもと) の人 (ひと) たちも驚 (おどろ) いて大喜 (おおよろこ) びしました。その後 (ご) も、近 (ちか) くの住民 (じゅうみん) たちに頼 (たの) まれて、用水路 (ようすいろ) を造 (つく) り続 (つづ) けました。

2019

特別 (とくべつ) にアフガニスタン人 (じん) として認 (みと) められる

用水路 (ようすいろ) のおかげで水 (みず) や食 (た) べ物 (もの) に困 (こま) らなくなった人 (ひと) たちの数 (かず) は、65万人 (まんにん) にもなります。その成果 (せいか) をたたえ、アフガニスタン政府 (せいふ) は中村 (なかむら) さんを特別 (とくべつ) にアフガニスタン人 (じん) と認 (みと) めました。とても誇 (ほこ) らしいことです。でも、用水路 (ようすいろ) は中村 (なかむら) さん一人 (ひとり) だけでつくったわけではありません。
工事 (こうじ) にかかるお金 (かね) は、ペシャワール会 (かい) を通 (つう) じて日本 (にっぽん) の人 (ひと) たちが贈 (おく) ってくれました。工事 (こうじ) 現場 (げんば) で一緒 (いっしょ) に仕事 (しごと) をしたのは、現地 (げんち) のアフガニスタン人 (じん) と、日本 (にっぽん) から手伝 (てつだ) いに来 (き) た若者 (わかもの) たちでした。

2019

12月 (12がつ) 4日 (4か)  撃 (う) たれて亡 (な) くなる

中村 (なかむら) さんはいつもの通 (とお) り、用水路 (ようすいろ) の工事 (こうじ) 現場 (げんば) へ車 (くるま) で向 (む) かう途中 (とちゅう) に銃 (じゅう) で撃 (う) たれ、亡 (な) くなりました。73歳 (さい) でした。中村 (なかむら) さんだけでなく、車 (くるま) の運転 (うんてん) 手 (しゅ) と、中村 (なかむら) さんを守 (まも) る役割 (やくわり) の人 (ひと) たちも犠牲 (ぎせい) になりました。

2008-2014

ガンベリ砂漠 (さばく)