【アフガンの地で 中村哲医師の報告】 ※西日本新聞への寄稿記事です。

【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】洪水が村も稲も奪った

 今夏、アフガニスタンのクナール川、カブール川の洪水は、過去のどの年よりも大規模だった。6月初旬から7月下旬にかけて波状的に来襲。アフガン東部で猛威を振るった。

 原因は遅い降雪と気温上昇だ。晩冬の降雪は解けやすく、春先から初夏に一挙に河川をあふれさせる。今年の降雪は遅く、2月下旬の春先。4月には水かさが上がり始め、5月に両川は真夏のレベルに達した。

 第1波は6月初旬。PMS(平和医療団)の取水堰(ぜき)があるベスード郡対岸、ジャララバード市が浸水。断続的に襲われ、8月初旬まで長期の洪水となった。異常な高気温が続き大規模な積乱雲が発生。雪解けと重なって集中豪雨をもたらした。サロビという谷で一つの村落が丸ごと壊滅。数百名が濁流にのまれた。

 主幹水路がことごとく寸断され、広範な地域で灌漑(かんがい)できず、ナンガラハル州南部の水稲が全滅した。治安悪化で救援団体が引き揚げ、灌漑局は窮地に陥っていた。兵士、警官があふれていても人々の生活を守る実動部隊がいないのだ。

濁流に沃野を夢見る

 州知事公邸周辺に住民たちが多数集結。取り囲んで陳情に及んだ。厳重に警備されていたが、警官の中には同郷出身者が少なからずいる。対応次第では警備隊の銃口が逆に向き、武装蜂起に発展しかねない。

 窮した末に知事がPMSに緊急工事を要請してきた。だが、われわれも北部穀倉地帯の守りでフル稼働だった。クナール川沿いでも護岸が各地で決壊寸前。全力の作業が続いていた。洪水なのにシギ地方は深刻な水不足に陥った。渇水に脅える農民たちが殺気立つ。臨時取水口を設け、7月に開通したマルワリード用水路からの分水路を全開で送水し、危機をしのいだ。

 州北部の三つの郡は、PMSの「緑の大地計画」の領域である。過去10年、営々と築いた取水設備の充実と河川工事が大禍を遠ざけた。7月下旬、大きな危険は去ったと見て、私は一時帰国した。

 ドゥルンタ用水路の決壊が起きたのは、その直後。現地事務所は「直ちに戻って指揮をとられたし」と悲痛な声を連日届けてくる。よほどの事態に違いない。国内の予定を全て断り、いつでも戻れる態勢を取った。だが出発直前に、「カブールの中央政府が動きだした。諸事情で今戻られては混乱する」と連絡があり、胸をなでおろした。

 現場に戻ったのは9月下旬。大洪水の爪痕は深刻で、水が引く今秋は膨大な河川工事を余儀なくされた。それでも救いはわれわれが建設した取水堰が無傷で、他で農業生産が大打撃を受ける中、悠々と安定した送水を続けたことである。

 他方、政情は極度に悪化し、人々はよるべき権威を失った。外国軍は1年後には撤兵を完了すべく「治安権限移譲」を進めている。巧みな言葉で糊塗(こと)しようと、要するに敗北である。敗戦を終戦に言い換えたのとさして変わらない。

 ー人間界の言葉の魔法とは無関係に自然は回る。世の流行につきあうのはまっぴらだ。私たちは川に聴き、天に祈る。

 かくて相も変わらず川の中だ。もう何年になるのだろう。川は自分の一部になった。洪水の激流に戦慄(せんりつ)し、穏やかな流れに心を和ませる。だが、それが良い。自然は人を欺かない。驕慢(きょうまん)を打ち砕き、恩寵(おんちょう)を垂れる。それを見いだすか否かは、人の側の問題である。

 濁流に沃野(よくや)を夢見る河童(かっぱ)かな

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 「アフガンの地で」はアフガニスタンやパキスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表でPMS総院長の中村哲医師(67)によるリポートです。


=2013/12/17付 西日本新聞朝刊=

中村先生が実践してきた事業は全て継続し、
彼が望んだ希望は全て引き継ぐ。

ペシャワール会会長 村上優氏 追悼の辞より抜粋