【アフガンの地で 中村哲医師の報告】 ※西日本新聞への寄稿記事です。

【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】広がる 生命の営み

 ガンベリの森は静寂が支配している。樹間をくぐる心地よい風がそよぎ、小鳥がさえずる。高さ10メートルに及ぶ紅柳が緑陰をつくり、過酷な熱風と砂嵐を和らげて生命の営みをさらに広げる。騒々しいアフガン情勢とはまるで別世界だ。

 マルワリード用水路沿いの砂防林は今、広大な地域の開墾を可能にしようとしている。幅数百メートル、長さ5キロに及ぶ植林は防風林だけで30万本。ここはもう砂漠ではない。

 里を見れば豊かな田畑が広がり、みな農作業で忙しい。用水路流域は既に15万人が帰農し、生活は安定に向かっている。それは座して得られたものではない。生き延びようとする意欲と良心的協力が結び合い、猛烈な努力で結実したのだ。

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 用水路は建設以上に保全が重要である。東部アフガンの農村は自治性が強い。「平和医療団日本」(PMS)ではガンベリに開拓村を置いた。10年間従事した200人の作業員、職員に自活の道を与え、培ってきた技術を世代から世代へ伝える方針をとった。

 開墾のカギは4年前から進めた砂防林造成と、用水路への送水量安定だった。開拓も植林も水あってこそ。特に冬季、用水路末端にあるガンベリ砂漠とシギ村の開墾は、水量不足で鈍りがちだった。予想を超える農民が帰還して耕地を広げ、大量の送水を余儀なくされた上、2010年の大洪水で取水堰(ぜき)が機能を失った。取水口から25キロの末端にあるガンベリ砂漠は、川の水位が下がるとたちまち渇水に陥った。

 しかし、対岸カシコート側からの工事がなければ、堰の復旧は不可能だった。水利工事をめぐり、しばしばわれわれと衝突を繰り返してきた地域だ。マルワリード用水路流域の再砂漠化は悪夢で、片時も心休める暇はなかった。この重圧は事の重大さを知る者にしか分からない。数十万人が再び路頭に迷って都市にあふれたらどうなるか。無政府状態の中でかろうじて維持されている農村秩序が水争いで崩壊すれば、修羅場となる。敵も味方もない。過去最悪の治安状態にあって、各村自治会と地方行政が一体となりPMSに協力して作業が進められた。

死の谷 恵みの源に

 かくてマルワリード=カシコート連続堰(ぜき)は、両岸6千ヘクタールの地域の生存とPMSの興亡をかけ、「緑の大地計画」の頂点と呼べるものとなった。類例のない難工事に過去最大の物量が投入された。5月9日、カシコート側への試験通水が成功したときのうれしさは例えようがない。対岸のわがマルワリード用水路も、10年目にして安定した灌漑(かんがい)を保障できたのだ。
 PMSの農場開拓は、こうして不動の基礎を得た。ガンベリ平野は平和である。かつて一夜にして開拓地を砂で埋めた砂嵐も、一瞬にして家々をのみ込んだ洪水も、広大な樹林帯に守られている。幾多の旅人を葬り去った強烈な陽光もまた、死の谷を恵みの谷に転じ、豊かな収穫を約束する。2万本の果樹の園。膨大な穀物や野菜の畑。砂防林から得る薪や建材、多くの家畜を養う広大な草地。今や自活は可能である。悪化一途の政情を尻目に、静かに広がる緑の大地は、もの言わずとも無限の恵みを語る。
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 平和とは言葉ではない。ダビデの詩は、数千年の時を超えて朽ちない真実を伝える。
 主はわが牧者なり、われ乏しきことあらじ。主はわれをみどりの野にふさせ、憩いの汀(みぎわ)に伴いたもう。たといわれ死の陰の谷をあゆむとも、禍を恐れじ。汝(なんじ)われと共にいませばなり。かならず恵みと哀れみとわれにそいきたらん。(詩編第23篇より抜粋)
 宗教的な話ではない。恵みは備えられてある。それは目先のカネ回りではない。GDPも株価も自然の恵みを語らない。「対テロ戦争」の暴力に至っては論外である。戦がここで何をもたらしたのか、われわれは知っている。かつて一世を風靡(ふうび)した「アフガン復興」は、混乱と退廃、国土の荒廃と敵対関係という惨憺(さんたん)たる結末を残したまま忘れられようとしている。誤りと向きあって教訓にする勇気を、われわれは欠いていないだろうか。
 国の威信の神髄は、武力やカネではない。利に惑わされて和を失い、先祖が営々と築いた国土を荒廃させる。豊かな心性を失い、付和雷同して流されるさまは危機的である。戦乱のアフガンから日本の行方を祈りたい。
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 「アフガンの地で」はアフガニスタンやパキスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表でPMS総院長の中村哲医師(66)によるリポートです。6月1日午後1時から、福岡市早良区の西南学院大学チャペルで、中村医師の現地報告会が開かれます。入場無料。


=2013/5/27付 西日本新聞朝刊=

中村先生が実践してきた事業は全て継続し、
彼が望んだ希望は全て引き継ぐ。

ペシャワール会会長 村上優氏 追悼の辞より抜粋