【アフガンの地で 中村哲医師の報告】 ※西日本新聞への寄稿記事です。

【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】命育む水路 次代へ

 再び河川工事の季節が巡ってきた。大量の重機やダンプカー、数百名の作業員が続々と集結する。荒れ狂う夏の濁流が嘘(うそ)のように、穏やかな清流となった。来春の増水期までに堰(せき)や取水口の基礎工事を終えねばならない。数万人の農民が食えるか否かの瀬戸際だ。これは一つの戦でもある。

 クナール川は、ヒンズークシ山脈東部の支脈を集め、インダス川支流を成す巨大河川だ。茶褐色の荒涼たる山肌、濃紺の天空、点在する村々の緑、高山に輝く白雪-これらの光景は、心の奥深く刻まれ、郷愁にも似た思いを呼び覚ます。

 われわれの打ち出した「緑の大地計画」から10年、大半の時間をこの川辺で過ごしてきた。水の流れは人を欺かない。ここでは、世の喧騒(けんそう)が遠く、人の言葉が余りに貧しい。太古から連綿たる自然の営みに思いを馳(は)せる。

   ■   ■

 平和医療団日本(PMS)は今、過去最大の挑戦に出ようとしている。2年前に開通したマルワリード用水路25キロに沿って、砂漠の開拓と同時に、隣接する地域の取水堰や水路を次々と復活させてきた。その大きな仕上げの段階、対岸カシコート地域の再生である。アフガン東部の三つの郡の安定灌漑(かんがい)が完全に達成されると、耕地面積1万6500ヘクタール、65万の農民の生活が保障される。一大穀倉地帯の復活は、夢にまで見たものであった。

 PMSが大干ばつに遭遇して水利事業に大きく関わりはじめたのが2000年8月、当時アフガン東部は急速に乾燥化が進み、惨状は目を覆うものがあった。廃村が広がり、わがダラエヌール診療所周辺でも、わずか数軒を残して無人の荒野に帰した。大量の流民がパキスタン領のペシャワルやアフガニスタンの首都カブールに逃れた。その数、200万とも300万とも言われた。あれから十余年、無人の荒野が緑の人里に戻り、数十万の人々が帰農し、作業地は最も安定した場所となった。

 待望の「水利組合」も実働し始め、ついに9月10日、第1弾の一斉浚渫(しゅんせつ)が各村の協力で実施された。これは用水路建設以上に画期的なことで、流域農民を結束させ、命綱である用水路を、世代から世代へ引き継ぎ、永続的に守るものである。人々はもはや政治や戦局に興味を示さない。華々しい復興支援の論議をよそに、誰も助ける者がない現実を身にしみて知っているからだ。

郷土の恵みこそ「生命線」

 アフガン情勢は混乱の一途をたどっている。戦火は多くのものを奪った。不寛容な殺伐さが増し、カネと武力が、人と人、人と自然の仲を裂いてきた印象を拭えない。敏(さと)い者は機に乗じて巨利を得、時流に乗れない者は取り残され、その声は世界に届きにくい。

 戦と外国人の干渉は、もうたくさんだ。故郷で家族と三度の食事がとれさえすれば、それ以上のものは要らない-この無欲な人々の願いこそが「緑の大地計画」の基礎であり、活力の源泉であった。

 無責任な論評で事は進まない。平和とは座して待つものでなく、体当たりで得ることを知った。時には軍閥や私利をはかる政治家と対決し、時には自らの欲望や怯懦(きょうだ)(臆病)と対峙(たいじ)し、天意を汲(く)んで感謝することなのだ。

 最近、アフガニスタン国軍兵士や警官が外国兵を射殺する事件が激増している。ほとんどが非政治的なものだ。11年前、米軍の「報復爆撃」は、罪のない膨大な死亡者を出した。あの頃、飛散した肉親の屍(しかばね)を無表情に集めていた子供たち、空腹で硝煙の中を逃げまどい、両親の死体に取りすがって泣いていた子供たち、彼らが今、血気盛んな青年である。彼らの心情を思えば、非はいずれにあるのか、断ずるのに躊躇(ちゅうちょ)する。剣で立つ者は剣で倒される。真理である。

   ■   ■

 人ごとではない。私たちもまた、大きな転換点を生きている。アフガンで起きたことは、形を変えて世界中で起きる。

 時代が自明とする錯覚は確かにある。かつて「満蒙(まんもう)は生命線」と日本中が勝手に思い込み、戦に狂奔したことがあった。だが、敗戦の小国・日本にとって、ほとんど唯一の拠(よ)り所が国土の自然であったことは、思い起こされるべきだ。戦争熱が覚めたとき、誰をも慰めて命を与えた。

 敗戦直後の深刻な飢餓は、わずかな時期を除けば、自らの食糧増産の努力で克服された。政治以前に、豊かな郷土の自然こそが、実は「生命線」だったことは、ほとんど教えられなかったと思う。

 天与の恵みをおろそかにせず、いのちを大切にする。それが国を守ることだ。あれから六十余年、山林が荒れ、農漁村がおろそかにされ、産業廃棄物や放射能におびえる世相は、とうてい次世代に引き継ぐべきものではない。郷土とは領土ではない。寸土の問題を煽(あお)る前に、もっと果たすべき道があるような気がしてならない。

 ー悠々たる大河は、黙して人間の愚行を見守ってきた。われわれの努力が天意に忠実であることを祈りたい。

   ■   ■

 「アフガンの地で」はアフガニスタンやパキスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表で「平和医療団日本」(PMS)総院長の中村哲医師(66)によるリポートです。随時掲載。

    ×      ×

 ☆記録映画「アフガニスタン 干ばつの大地に用水路を拓(ひら)く」上映会 11月24日、福岡市早良区の西南学院大チャペル。大人1200円(前売り1000円)ほか。午前11時、午後1時半、同3時、同5時の4回上映。ペシャワール会=092(731)2372。


=2012/10/22付 西日本新聞朝刊=

中村先生が実践してきた事業は全て継続し、
彼が望んだ希望は全て引き継ぐ。

ペシャワール会会長 村上優氏 追悼の辞より抜粋