【アフガンの地で 中村哲医師の報告】 ※西日本新聞への寄稿記事です。

【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】暗殺恐れた着工式

 「明日でわれわれの運命も決まりますな。生きてれば最後の大仕事。何かあれば…神に祈りましょう」

 2月6日、PMS(平和医療団日本)の副院長が「カシコート緑化計画」の着工式の準備完了を伝えて、覚悟を述べた。

 行政の出方が焦点になっていた。アフガン東部の山村は、反政府勢力の出没地帯である。州代表が出席するかどうか。来れば、暗殺事件が起きるかもしれない。来なければ、行政側との折衝が難航し、事業に影響が出るだろう。

 悲観論が強かったが、官吏の臆病を非難できる状態ではなかった。儀式とはいえ、緊迫した空気が流れていた。「州代表の出欠にかかわらず着工式を敢行」と住民側に伝え、地域自治会とPMSが協力し、万全の警備を取り仕切っていた。州代表の出席を一つの試金石としたのである。

 このカシコート地方は、大河クナールを挟んで、わがマルワリード用水路の対岸にあり、最貧困地域である。近年の干ばつはここにも及び、農地が荒廃し、人口の半分以上がパキスタン側へ難民化した。残る閉鎖的な住民は、河川工事をめぐってわれわれとも対立を繰り返し、この陸の孤島を誰も支援しようとしなかった。

 2010年に起きた大洪水は、とどめを刺すように主な取水口と水路を破壊し、農業生産に壊滅的な打撃を与え、住民をさらに圧迫した。窮した彼らはPMSに復興を依頼、ここに長い対立を解消して和解が成立した。

 対岸の安定なしに、用水路保全は困難だ。それに、このような場所の仕事にこそ、PMSの面目がある。昨年10月の和解は、10年にわたる「緑の大地計画」の仕上げを意味した。くしくも、会場のサルバンドは18年前、PMSのマラリア診療の最終地点である。医療活動から水利事業へ、われわれの軌跡を象徴するものでもあった。

厭戦 何かが変わった

 翌2月7日午前11時、予想を裏切って、州代表の副知事が突然現れた。行政側から代表以下各局長クラス4名、カシコート側から長老会代表・各村長・宗教指導者ら40名、PMS側から責任者6名、三者が一堂に会し、和やかな雰囲気で、事業宣言が行われた。

 これは異例のできごとだった。こんな片田舎に州代表が送られるのはまれだ。それは同時に、胎動し始めた情勢変化を象徴する出来事であった。30年以上続く戦乱に、官民を問わず、人々の間で厭戦(えんせん)気分が広がり、何かが確実に動き始めている。

 式の最中、村の近くで米軍の派手な「空爆演習」があり、一同は眉をひそめた。だが皆、ほとんど恐れを示さなかった。今、身近になった水利事業の話とは対照的に、空虚な演技としか映らないからだ。

 折からISAF(国際治安支援部隊)の撤退が、大々的にささやかれていた。1月下旬までに、ジャララバード空軍基地から米兵の姿がこつぜんと消えた。聞けば、欧米軍の「治安権限移譲」が当地でも始まったのだという。その対象となる地域を知って驚きを覚えた。アフガン東部・ナンガラハル州のうち、ソルフロッド、ベスード、カマ、シェイワの四つの郡で、いずれもPMSの主要作業地なのだ。奇妙な符合である。

 思えば2001年のアフガン空爆に異議を挟み、「爆弾よりもパン」を掲げ、荒れた農村を次々とよみがえらせてきた。あれから10年、大小8カ所の取水堰(ぜき)、25キロを筆頭に長短五つの用水路など、PMSの水利施設で多くの地域が潤された。耕地計1万4千ヘクタールが安定し、60万農民の自活を保障した。その活動と無関係でないかもしれぬ。とうてい武力だけで収まる地域ではない。感慨を込めて10年を振り返った。

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 こうして現地活動の仕上げともいうべき仕事が口火を切った。現場は、既に昨年10月段階で動き始めていたが、もう引き返せない。起工式を機に、重機やダンプカーを総動員し、作業のピッチを上げている。増水期が迫り、今秋の取水堰工事の成否が、冬の河川工事にかかっているからだ。

 だが、戦争と平和をよそに、自然界はそれ自身の理によって動く。再びわれわれの関心は、人間界から河に戻った。

 問題は堰に先立つ護岸工事だ。インダス川の支流・クナール川は、聞きしに勝る暴れ川だ。相当な難工事となった。

 いてつく寒風をつき、必死の作業が続く。その緊迫感は、戦に勝るとも劣らない。常々、「平和は戦争以上の努力と忍耐が要る」と述べてきた。だが、自然を抜きに、この言葉もまた、空疎である。

 厭戦気分に呼応するように、豪雪が高地を襲い、山々は輝くような白雪に覆われていた。真っ青な清流が、岩に砕け散り、純白の水しぶきを上げる。丸10年、この光景と一体になり、独り言のように河と対話してきた。

 そこに込められた無限のメッセージの中で、人は、目につくわずかな事象を語るにすぎない。人の言葉は貧しく、戦争も平和も、貧困も繁栄も、生も死も、波間に消える木の葉と等質だ。しかし、利害や虚飾を超えて備えられた道を求め、変わらぬ恵みを見いだそうとする努力だけは、営々と受け継がれていくだろう。その前には、人同士が争う根拠は、無限の点となって消える。現地30年の活動が語ろうとするところもまた、ここにある。

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 「アフガンの地で」はパキスタンやアフガニスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表・中村哲医師(65)によるリポートです。随時掲載します。


=2012/3/18付 西日本新聞朝刊=

中村先生が実践してきた事業は全て継続し、
彼が望んだ希望は全て引き継ぐ。

ペシャワール会会長 村上優氏 追悼の辞より抜粋