【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】長老の悲痛な謝罪
騒然たる人の世をよそに、自然は静かに回る。秋が深まると、クナール川の夏の濁流は、美しい清流となる。荒れ狂った巨竜も、しばし穏やかな表情を見せる。まるで濃紺の天空が溶け、澄んだ水となって地上にこぼれ出したようだ。
2011年10月2日、マルワリード取水堰(ぜき)の対岸、カシコート地域では、大きな変化が起きていた。長く対立してきた地域の長老たちが顔をそろえ、PMS(平和医療団日本)に過去の非礼をわび、灌漑(かんがい)路の復旧工事を依頼にきたからだ。近年の干ばつに加え、昨年の大洪水で同地域の半分の農地が荒廃し、誰も本気で支援しない現実が背景にあった。
窮した住民代表たちの話は、命乞いにも似て、悲痛なものがあった。
「事情はよくご存じのはずです。ここに政府はもはやありません。私たちは戦いに明け暮れる野蛮人になってしまいました。しかし、パキスタンに逃げても戦乱のちまた、逃げ場さえ失い、途方に暮れるだけです」
「諸君を見捨ててきたわけではない。人を殺す仕事につく村の若者たちを見たまえ。これは危険な身売りだ。これでは、まっとうな暮らしが立つものか。ただ筋というものがある。諸君の紳士的でない応酬も問題だった」
「おっしゃる通り。武器は解決になりません。協力願えれば身の安全を死守します。以前の事は忘れてください」
「それで?」
「PMSがカシコートの回復を行うつもりなのかをお聞きしたいのです」
拒否するのは簡単だった。だが、ここで彼らの過去を責めてはならない。アフガン農村で長老会全員が顔をそろえて恭順を示すのは、異例のことだ。昨年、住民を扇動してPMSの重機や運転手を拿捕(だほ)した事件があった。これは強訴の一種で、殺意はなかったが、首謀者は恥じて身を隠していた。それほど追い詰められていたのだ。
数秒間の沈黙が長く思われた。
「…。やろう。もう戦争も政治も、争い事はたくさんだ。そちらの代表1名を立て、工事方法その他、あとは一任願いたい」
皆の顔が輝き、どよめきのような歓声が起きた。この無政府状態で他にまともな支援ができると誰も思えない。わらにもすがる気持ちだったろう。かくて和解が成立した。
対岸に緑の懸け橋
実は、このアフガンの片田舎にもたらされた小さな和解は、大きな懸案の解決であり、道義上の事業達成ともいえた。
2003年にマルワリード用水路が着工して以来、対岸地域との協力は、用水路保全の上でも悲願だった。川沿いに延びるわが用水路は、護岸や河道回復などの河川工事が不可欠だが、対岸に悪影響をも及ぼし得るからだ。しかし、対岸のカシコートは住民の気が荒く、閉鎖的な陸の孤島で、政府の役人でさえ恐れてめったに入らない。われわれとも、ささいな事をめぐってことごとく対立を繰り返してきた。時には中州で乱闘寸前になったこともある。
この「カシコート問題」の解決がなければ、「緑の大地計画」は画竜点睛を欠いただろう。水路保全の都合だけでなく、カシコートこそ、計画の筆頭に挙げるべき地域だったからである。
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同地は、人口3万―4万人で、千ヘクタールほどの長い耕地が川沿いに延びる。しかし、耕地の荒廃で人々は生活ができず、やむを得ず危ない職に就く。警備員、傭兵(ようへい)、警察官、兵士ら、武装要員の一大供給地域となっていた。
特に首都カブールに赴任すれば、きらびやかな豪邸や街路が極端な貧富の差を見せつける。欧米兵を守るため、劣悪な条件で前線に立たされ、罪のない同胞に発砲を命ぜられる。まっとうな感性を持つアフガン人なら、屈辱感を覚える。反政府側に寝返ったり、衝動的に外国兵を狙撃したりする例が後を絶たない。それがまた、治安悪化を印象づける。
このような地域での「農村復興」こそ、われわれの本来の目的だった。一方、和解の機会を待ち続けてきたPMS(平和医療団日本)は、この10年間で屈強の職業集団に変貌した。どんな作業もこなす600名の熟練労働者を擁し、同地出身者も少なからずいた。窮状を知る彼らは、いたく同情を寄せていた-およそ、このような事情での決定であった。士気は一気に上がった。3日後の10月5日、作業の一団が工事を開始した。
狭いわずかな土地にしがみついて生きるしかない住民たちの気持ちを、くまねばならない。生命を愛惜し、他を助けることで自らも健全な感性を保てる逆説がここにある。
「先が見えない」という暗いセリフを、この頃あちこちで聞く。心ない知識人は自国民の無知を嘲笑的に眺め、諸外国と政治家は損得で兵を動かす。経済利益を至上とし、安易な同情を笑う「現実論」もある。だが、そうとばかりも思えない。
自然の恵みは、見捨てられた者たちの上に姿を現す。理念や理屈ではない。人が和すとは、暴力やカネ勘定を超える理があるのだ。
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「アフガンの地で」はパキスタンやアフガニスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表・中村哲医師(65)によるリポートです。随時掲載します。
=2011/11/26付 西日本新聞朝刊=