【アフガンの地で 中村哲医師の報告】 ※西日本新聞への寄稿記事です。

【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】取水堰建設 8年の闘い

 それはあっけない勝負だった。「おーい、どこまで流れたか」。私が重機を降り、水門にはい上がってくると、水は既に1キロ地点を突破し、とうとうと流れていた。静かだが大きな感慨が込み上げてきた。2011年1月15日、インダス川支流・クナール川沿いの出来事である。

 カマ郡は、アフガニスタン東部のニングラハル州にあり、ジャララバードの北方15キロ、パキスタンと国境を接する。人口30万人、耕地面積7千ヘクタールを擁する東部最大の穀倉地帯で、「カマの収穫高が東部の穀物価格に影響する」といわれる。それが最近、次第に取水が困難になって田畑が荒廃し、一時は人口が半減、最大のアフガン難民を出した地域のひとつである。

 カマには大きな取水口が二つあり、歴代政権の努力にもかかわらず、ことごとく濁流についえた。近年の気候変動に伴い、冬の渇水と夏の洪水が極端になり、従来の取水方式が通用しなくなったからだ。「カマ取水口は絶対に成功しない」という通念が定着していた。夏の洪水時に、一部の地域だけ、辛うじて作付けできる状態だった。

 08年12月、ペシャワール会が支える現地PMS(日本平和医療団)がカマ第一堰(せき)を手がけたのは、大きな挑戦であった。これまで、われわれが最も手を焼いてきたのが取水堰の建設で、09年に開通したマルワリード用水路がいかに大きい事業だと言っても、水が取り込めねば無用の長物だ。聞きしに勝る暴れ川を相手に、8年間にわたる堰の改修を繰り返し、やっと会得した取水技術に支えられた成功だったのである。

躍る水 命つなぐ

 マルワリード用水路建設の真骨頂は、これまで現地になかった取水方式を、現地にかなった技術で確立したことである。

 それまで、一般的に行われていた方法は、夏の洪水をいったん取り込み、余り水を捨てて必要量を得るものであった。取水口には簡単な突堤があるだけだったので、洪水で先端が深く掘れると、水位が下がる冬に用水がのらなくなる。

 そこで、真冬には堰(せき)の前に棒を組んで水位を上げる「堰上げ」を行い、かろうじて用水を得ていた。それでも何とかなっていたのは、高山の万年雪が巨大な貯水槽となり、夏に解けだして安定した川の水量を提供していたからだ。だが、温暖化による万年雪の激減は、夏冬の水位差を極端にし、従来方式では水が取り込めない状態になっていた。

 それとは知らなかったが、農業を営む上で、何らかの「技術改革」が求められていたと言える。それは多くのアフガン人にとって、生存の問題であった。

 「PMS方式」は、大半が伝統工法に負う治水技術だ。取水部を壊れにくい岩盤に隣接して置き、対岸中州との間を上流部に向かって堰を川幅全体に斜めに設けて水位を上げる「堰上げ」。取水門の間口を広くとって水位の低下に備え、洪水時は堰板で水量調節を行う。

 アフガンの急流河川では、土砂の堆積量が並のものではないので、取りこんだ水をいったん、調節池に導き、池の底に泥土を沈殿させ、底水を低位置のスライド式水門で排出し、用水路側に堰板で上水を送る。また、激しい流水圧に対しては、取水門を二重にして階段状に水を落とし、水圧を相殺する。護岸は専ら川に突き出した構造物で水流を制御する「水制」を駆使し、洪水を遠ざける-。この集大成が、カマ取水口と対岸工事であった。

 低コストで最大限の効果を上げるには、これ以外の方法は現地で考えにくい。水は偽りがない。人間側の理屈には頓着なく、自然の理を示す。通水試験は、われわれが試される瞬間だったのである。

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 取水門開放で流れ続ける水は、その成功を無言で伝え、数十万人農民の悲願をかなえ、希望を与え、生命の保障を約束した。狂喜しない者はなかった。

 採用した技術は、図らずも先人たちの労苦の追体験になった。山田堰(福岡県朝倉市)に代表される川の全面堰上げ、堰板を使った水門、信玄堤を模した護岸-。決して懐古趣味ではない。おそらく中世日本の農村もまた、人口増加と重い年貢、戦乱、渇水と洪水による飢饉(ききん)が日常の中で、「生きる技術」が生まれたのだろう。それは生死をかけた血と汗の結晶であることを、この仕事を通して知った。

 かくて8年に及ぶ川との激闘は、カマ取水口をもって、一応の終局を迎えつつあった。それは、人が自然と共存する道の発見でもあった。

 冬のクナール川は美しい清流である。堰を落ちる青い水が、巨石に激突して砕け散り、真っ白な水しぶきを上げる。雄渾(ゆうこん)な生命の躍動だ。まるで大きな鯨が跳ねまわっているようだ。その景観は、戦争や政治不安を吹き飛ばし、凛(りん)として一つの啓示を与えるようであった。

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 「アフガンの地で」は、荒廃したパキスタンやアフガニスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表・中村哲医師(64)によるリポートです。随時掲載します。


=2011/2/12付 西日本新聞朝刊=

中村先生が実践してきた事業は全て継続し、
彼が望んだ希望は全て引き継ぐ。

ペシャワール会会長 村上優氏 追悼の辞より抜粋