【アフガンの地で 中村哲医師の報告】 ※西日本新聞への寄稿記事です。

【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】恵みの雨… 一転濁流に

 7月27日から降り始めた雨は、断続的に集中豪雨となり、アフガニスタン東部を広範囲に襲った。渇水に悩んできた地域では、最初、恵みの雨のように思われたが、今年は異例であった。山腹まで覆う厚い雨雲が上空にとどまり、幾日も去らなかった。

 「まるで冬の雨のようだな」

 農民たちは不安げに空を見上げた。アフガンでは、例年なら冬が本格的な雨期で、穏やかな小雨の日が数カ月訪れ、大地を潤し、高山に積雪を加える。夏は、いわゆるゲリラ豪雨で、ごく短時間に気まぐれな雨を山沿いにもたらすだけだ。夏の農業を支えるのは、冬の積雪に由来する豊富な河川水である。

 今年は例年並みの積雪があり、皆安心しきっていた。時たま襲う局地の雨は歓迎する者が多かったが、曇天と尋常でない降雨領域に、次第に不安を募らせた。

今こそ自然との和解を

 果たして河川の増水が翌日の7月28日から始まった。29日、各地で取水口の水位が予想高を超え始めた。8月2日、われわれの建設したマルワリード用水路の取水口で平年より約1・2メートル高い濁流が押し寄せ、対岸の広大な中州を流し去ってしまった。かろうじてこの用水路は守られたものの、30万農民の生活を預かる対岸のカマ取水口では、洪水が堤防を越えて水路内に流入、広大な地域が泥の海と化した。

 川沿いの低地に住む村はさらに深刻であった。孤立した村落から連日、村民たちがヘリコプターで救出され、川沿いに急ごしらえの避難民テントが林立した。だが、これは序の口にすぎなかった。

 インダス川の支流とはいえ、ヒンズークシ山脈の北東部を覆うクナール川の流域面積は九州の約3倍である。水位の高い激流はなかなか去らず、至る所ではんらんした。

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 8月初旬、なすすべもなく、われわれは崩壊したカマ第2取水門の前に茫然(ぼうぜん)と立ちすくんでいた。津波のような茶褐色の濁流が、ごうごうと音をたてて過ぎてゆく。水路は泥土で埋め尽くされた。かろうじてカマ村落居住地への流入を突貫作業で防いだものの、復旧の見通しが立たなかった。全力を投じて得た取水堰(ぜき)の成果が、一瞬にしてついえた無力感に支配されていたのである。折から「カマ郡の最終工事」を目指し、秋冬の大工事を予定していた矢先であった。

 その後続々と入ってきたニュースは、身を凍らせた。「ナンガラハル州で死者100人」「モンスーンが巨大化、カラコルム・ヒンズークシ山脈全域で異常降雨」「パキスタンで被災者1千万人、死亡確認1800人、建国以来の災害」-犠牲者の数字は日を追って増していった。災害の規模は現在、1929年の記録的大洪水を超えることが明らかになっている。世界中から大規模な救援の手が差し伸ばされ始めた。

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 驚くべきは、この最中でも、欧米軍による空爆が休むことなく続けられていたことだ。遺体を運ぶ避難民二十数人が爆撃で殺される事件も伝えられた。それは世界の終末を思わせた。

 堰と取水門、護岸は、自然と人為の危うい接点である。念を入れたつもりでも、それは人間側の勝手な希望にすぎない。過去の記録が乏しいアフガンの河川は、堤防高を決めることが極めて難しい。

 日本では1級河川なら数百年に一度の洪水に耐え得るように基準が設けられ、膨大な努力がつぎ込まれている。だが、これとても記録に基づく確率である。それが定期的に来るわけではない。普段は穏やかな川も、一転してどう猛な表情となる。自然は自然の論理によって動く。人の善悪の彼岸で、生殺与奪の権を握っている。

 古くは衣服などの単純な道具から、近代技術に至るまで、人は自分を自然から遮断することで生き延びてきた。その運命的な矛盾といかに折り合うのか。「自然保護」もまた、倒錯した言葉に思える。われわれが自然の許しによって生かされてきたからだ。

 水利工事に携わり、生死を扱う一介の医師にとって、今回の大洪水は、自然から突き付けられた一つの暗示である。自然との共存が今ほど切実に求められる時代はなかった。洪水の最中、無人機爆撃のごときは許されない。生かされる恵みと感謝を忘れた人間の倒錯の極みだと言わねばならない。

 今秋からわれわれが実施する大自然相手の一大工事は、洪水災害予防の意味をも帯びてきた。確かに工事もまた、人為の所作であろう。だが人為と自然のはざまで思うのは、「環境問題」ではなく、「自然との和解」である。現地は今、戦争どころではないのだ。

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 「アフガンの地で」は、荒廃したパキスタンやアフガニスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表・中村哲医師(64)によるリポートです。随時掲載します。


=2010/9/21付 西日本新聞朝刊=

中村先生が実践してきた事業は全て継続し、
彼が望んだ希望は全て引き継ぐ。

ペシャワール会会長 村上優氏 追悼の辞より抜粋