【アフガンの地で 中村哲医師の報告】 ※西日本新聞への寄稿記事です。

【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】湿害克服 よみがえる村 家へ田畑へ家族が帰還

 アフガニスタン東部の山々は雪化粧を始めた。目を射る銀白の山々が私を歓迎する。ジャララバード周辺の村々は小雨が大地を潤し、高地には雪が積もる。人々にはこの当然の自然の営みが大きな安堵(あんど)である。小麦が播(ま)けるだけでも喜びだ。

 だが、標高の低い山麓(さんろく)地帯は絶望的で、地下水位が年々低下し大地は乾き切っている。少々の雨では間に合わない。最近の報告ではこの国の失業率は50%、500万人以上という。何のことはない。自給自足の農業国で進む干ばつで、故郷を叩(たた)き出された人々が大都市にあふれているのだ。

 先日、日本へ帰国した時に米軍の増派が大きな話題になったが、日常化した爆破事件や誤爆にも地元は意外に平静だ。あきらめではない。30年超の内戦に疲れきり日々を生きるのに懸命なのだ。だが、彼らには「アフガンは支配が不可能。外国軍はいずれ去る」との確信がある。実際、過去の歴史も「攻め込んだ者が音を上げて去っていった」という方が正しい。アフガンは思ったほど動揺しない。「西側には時計があるが、われわれには時間がある」。なかなか粋なことを言う。

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 けれど、私たちは「西側の時計」に振り回されている。「アフガンがテロの主戦場」と決めつけられ迷惑この上ない。12月初旬、イード(犠牲祭)明けと同時に用水路の工事が再開された。8月に試験通水に成功した24・3キロのマルワリード用水路は、仕上げ工事を急いでいる。来春、戦闘が激化するのは必至。来年2月を区切りに「完工式」を挙行するのだ。

 ヤマ場を迎えた現場は活気にあふれている。改修工事、浸透水処理、開墾作業、植林、排水路整備、モスク建設…。多岐の、膨大な仕事を短期間にせねばならない。生き延びるか否かの瀬戸際で戦争どころではない。

 最近の思わぬ朗報は「湿害対策」による農村の回復だ。2カ村が復活し続々と農民たちが帰り始めた。「砂漠の中の湿害」とは少し分かりにくいが、一般にアフガンの田舎はオアシス農村。水を取り込むことに熱心で用水路の末端が出口のない水たまりになりやすい。

 昨年3月、幅2メートルほどの狭い排水路が道路や既存用水路を貫いているのを発見した。たどってゆくと大きな湿地帯に出くわした。自然の尾瀬だと思ったら実は人災による巨大な水たまりだった。10年ほど前から見る見る拡大し、2カ村が水没したという。何十年も排水路が浚渫(しゅんせつ)されず放置されていたのだ。私たちの開墾地であるガンベリ砂漠の灌漑(かんがい)用水もここに注ぐから湿地はさらに拡大する。拡張・浚渫工事を急ぎ、排水量を5倍まで上げた。沼地だから機械が入れない。人海戦術で掘り進むこと10カ月。ようやく水が引き始めた。

 この作業に毎日従事した農民は100人。ほとんどが元難民で日当稼ぎで故郷に戻ってきた。ところが、聞けば、十数年前から湿地の拡大で家々が浸水し、住めなくなってパキスタンに逃れていたのだという。

 湿地の水位が2―3メートル下がると、目の前に田畑と家が現れた。狂喜する作業員たちの握るシャベルに力が入ったのは言うまでもない。作業はあっという間に進んだ。家族が続々と帰還し、民家が修復され、水草で荒れた耕作地がたちまちよみがえった。

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 一方で、なお難題があった。何かにつけ外国団体にたかろうとする地方軍閥が「湿地化は新水路のせいだ」と私たちに賠償を要求したのだ。行政に訴えても警察関係が軍閥に牛耳られているので一向にらちがあかない。

 しかし、論より証拠。今、湿地帯は干上がり、10年ぶりに復活した田畑が450町歩。芽吹いた麦の若葉がまばゆい。帰郷した1千人を超える村民の存在は無言の圧力である。軍閥たちはすっかり沈黙した。

 わずかな傾斜を頼りに網の目のように張りめぐらされた排水路は、何やら福岡県の柳川に似ている。そして筑後川の斜め堰(せき)、熊本県緑川の石出し水制(低水路を固定したり、流路を安定させる工作物)も。私たちの生きる世間とは案外狭いものだ。国際貢献をいたずらに叫ばずとも、「水」を介して両者はしっかりと結ばれている。

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 「アフガンの地で」は、荒廃したパキスタンやアフガニスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表・中村哲医師(63)によるリポートです。随時掲載します。


=2009/12/21付 西日本新聞朝刊=

中村先生が実践してきた事業は全て継続し、
彼が望んだ希望は全て引き継ぐ。

ペシャワール会会長 村上優氏 追悼の辞より抜粋