【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】ぬかるみゆく戦場 超然と生きる家畜の群れ
アフガニスタンは激しく動いている。今年の大統領選挙は不正まみれだし、外国軍が増派を繰り返しても治安は悪くなるばかりだ。いくら「復興資金」をつぎ込んでも事態の収まる気配がない。
おまけに隣接するパキスタン北西辺境州に混乱が飛び火。ペシャワルの政情悪化は今や、東部アフガンをしのぐ勢いで、膨大な国内避難民やパキスタン国家解体の兆しにおびえている状態である。
10月に入って例年なら下火に向かうはずの戦闘は、かえって悪化している。カブール市内はもちろん、これまで比較的平穏だったアフガン北部でも外国軍襲撃が頻発。作業地に近いヌーリスタン東部では米軍の前線基地が大規模な攻撃を受け、多数の死傷者を出した。「最終的に米軍が優勢に出てタリバン兵100人を殺戮(さつりく)」と発表されたが、これは信じ難い。多くの無実の村民が死んだことだろう。谷が狭く、そんなに多くの男たちが集まれる場所はないし、ヌーリスタン山岳部族はもともとタリバン勢力とも仲が悪かった。
この地には4年前まで私たちペシャワール会医療サービスの診療所があったから、少なからず事情を推測できる。険しい山岳地帯で18年前に内戦をかいくぐって建設された。下の村から歩いて1日かかった。最も苦労した診療所だったので戦場化して退去したときの歯がゆさを忘れることができない。あんなのどかな山村が「テロ戦争の主戦場」など誰が決めたのか。「無益な殺戮をいいかげんに止めてほしい」とみんな思っている。
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この事件のために国際治安維持部隊の往来が激しい。ヌーリスタンに至る主要道路、ジャララバードとチャガサライ間は軍用道路の様相を呈している。険しい顔つきの外国兵を乗せた装甲車の長い車列。われわれ民間人はすれ違うとき必ず停車して通過を待つ。「動くものはみな攻撃する」と言うから仕方ない。
こうした中にあって、騒々しい情勢から超然と生きるものがある。今年は遊牧民が下りてくるのが1カ月早い。砂漠化で草地が少なくなったため、緑の広がるマルワリード用水路周辺に続々と集まってくる。
先日、長い米軍の車列にいらいらしていると、これまた長い家畜の群れが米軍をさえぎった。装甲車もさすがに「強行突破」するわけにいかず、停車して一緒に眺めていた。しかし、半端な数ではない。やっと通過したヒツジたちに続いて、ダメ押しのように水牛の群れが通った。悠然と辺りを見回しながら、路上で脱糞(だっぷん)するわ、子牛が乳を吸うわ、雄牛が雌牛にすり寄るわ、なかなか通り過ぎない。
牛に悪気はない。さすがに装甲車の機関銃射手も憮然(ぶぜん)たる表情であくびをしていた。水牛の糞を間近に見るのは私も初めてだったので驚いた。象の糞のように大きいのだ。数頭が脱糞したからたまらない。たちまち道は黄金色のぬかるみとなった。やっと家畜たちが過ぎ、装甲車がタイヤを糞まみれにしながら通って行く。普段なら外国兵に敵意を隠さぬ職員も、気抜けして穏やかな顔になっていた。
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私たちは開通した用水路末端の砂漠を開墾中で、耕作はトラクターでなく家畜を使う計画でいる。燃料の石油がいらないし、乳製品も作れるからだ。牛たちのひょうきんな顔が終日頭を離れなかった。無邪気で敵意を起こさぬ姿が何かしら人の心を和ませる。
「野の花を見よ。栄華を極めたソロモンも、その一輪だに如(し)かざりき」とは、新約聖書の最も美しい一節である。国益だ、正義の戦争だ軍隊の増派だのと、騒がしい世界とは無縁なところに平和に生きる道が備わってあるのだ。私たちもまた必死だ。世界で何が起きようと、ひたすらシャベルを振るい、水を送って耕し、その日を無事に過ごせたことに感謝する。
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「アフガンの地で」は、荒廃したパキスタンやアフガニスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表・中村哲医師(62)によるリポートです。随時掲載します。
=2009/10/25付 西日本新聞朝刊=