【アフガンの地で 中村哲医師の報告】 ※西日本新聞への寄稿記事です。

【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】熱砂の中 黙々と作業

 これは間違いなくひとつの戦闘だ。熱砂は簡単に人を寄せつけない。熱風は時に50度を超える。これを恐れていたのだ。酷暑を避けるために5月完成を期したが、土石流、軍閥や米軍の妨害、補修工事で作業は遅れに遅れた。それでも照りつける陽光と砂嵐を圧して、680名の作業員と12台の重機、30台のダンプカーは黙々と働き続ける。

 ペシャワール会医療サービスの用水路事業は、6年3カ月の歳月と16億円の巨費を投じ、最終地点に達しようとしている。全長24・3キロの水路は、ここガンベリ砂漠を貫きクナール川に戻る。

 完成を目前にさすがに重圧を感じる。誤算は夏将軍をなめていたことだ。半年に及ぶ砂漠の作業。熱射病で倒れる者が続出した。機械が故障し、ダンプの運転手が脱走した。春には「ガンベリ開通」の希望を語り、笑顔が満ちた現場は一転。今や泥沼の行進のようだ。

 この1カ月、みな次第に口数が減った。だがその分、体が動く。私が感じる「重圧」とは少し訳が違う。4・5キロに及ぶ砂漠の現場は、泣いても笑っても地道な作業以外に近道はない。シャベルのひとかき、石積みの1個が百の議論に勝る。論じても仕方ない。「やらなければやられる」という気迫、生き延びようとする意志だけが作業員の支えなのである。

 マルワリード用水路は、その水で暮らす15万人の命綱だ。作業員である近隣農民は工事の成否が何を意味するか知っている。治安当局派遣の警護兵も地元出身農民だから事情に詳しい。ダンプカーを誘導し、運転手の脱走を見張る。こんな現場は他にないらしい。

日本の種 希望の実り

 予期せぬ喜びがあった。ガンベリ砂漠の緑化(耕地化)がいかに大きな恵みをもたらすか。朗報を届けたのはスイカである。今春、灌漑(かんがい)が始まった砂漠の末端で農民たちが真っ先に植えたのだ。

 適度な砂質に寒暖の差、強い日差しが相まって甘くて大きなものが取れた。皆がこぞって植えたので並みの量ではない。集荷のダンプが毎日列をなし、ジャララバードからカブールまでの市場を総なめにして、一躍、名産地にのし上がった。スイカが現金収入源になろうとは、試験農場でも考えていなかった。

 アフガン特産かと思ったら、何と日本から輸入した種だという。うれしいような不思議なつながりだ。種の輸出業者は「アフガン復興」や「国際貢献」を考えて売った訳ではなかろう。縁の偉大さは人の思いに勝る。スイカが取れるなら小麦もトウモロコシも確実だ。無機質に見える砂漠は意外に肥沃(ひよく)なのだ。われわれが励まされる源泉もまた、自然の恵みである。

 過酷な自然は、あまりに非力な人間の分限をわきまえさせ、同時に恵みも準備する。人は自分の力で生きているのではない。恩恵によって特別に生かされているのだ。ここでは謙虚さと感謝の気持ちもまた、大地に根ざす。この実感を味わえるのは幸運である。

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 ときどき見る外国人兵士たちが青白く、ひ弱に映る。彼らもかわいそうだ。見えぬ敵におびえ、重装備に身を固め、険しい顔で過ぎてゆく。その様は砂漠で働く人々とあまりに対照的だ。人為の思考の中で敵を作り、人為の政治に振り回され、人為の手段で殺し殺される姿は空虚でさえある。

 「平和」とは大地の上に築かれるもので、自然と人間との関係のあり方が大きな意味を持つような気がしてならない。敵は自分たちの中にある。スイカと平和に何のつながりがあるか。乏しい想像力を巡らすのはやめて素直にその甘さに舌鼓をうち、皆を激励する。

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 「アフガンの地で」は、荒廃したパキスタンやアフガニスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表・中村哲医師(62)によるリポートです。随時掲載します。


=2009/7/31付 西日本新聞朝刊=

中村先生が実践してきた事業は全て継続し、
彼が望んだ希望は全て引き継ぐ。

ペシャワール会会長 村上優氏 追悼の辞より抜粋