【アフガンの地で 中村哲医師の報告】 ※西日本新聞への寄稿記事です。

【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】用水路建設6年 送水目前 熱砂の谷に命導く 生死背中合わせの日々

 戦乱や干ばつなどで荒廃したパキスタンやアフガニスタンで、医療やさまざまな復興支援を続けるペシャワール会(事務局・福岡市、1983年結成)。6年をかけた灌漑(かんがい)用水路の一部完成も間近に迫る。米オバマ政権が「テロとの戦いの最前線」とも位置付け注目を集めるこの地で、多くの市民に支えられながら独自の歩みを進める同会の現地代表中村哲医師(62)を通して、人々の暮らしぶりや習慣などを紹介する。


 アフガニスタンのジャララバードから北西数十キロにあるガンベリ砂漠は熱砂の谷である。人はここを「死の谷」と呼び、古来、多くの旅人を葬り去った。わがペシャワール会医療サービス(PMS)職員の一人も、ここで殉職したことがある。

 ジャララバードから隣のラグマン州に抜ける近道で、20キロの砂漠の彼方(かなた)に、ラグマン州の緑地が蜃気楼(しんきろう)のように霞(かす)んで近くに見える。その緑の光景に幻惑された者は迷い込み、水なし地獄で力尽きて斃(たお)れる。旧ソ連軍の戦車隊にさえ恐れられたこの砂漠を歩いていく者は、ほとんどいない。

 わがマルワリード用水路建設が始まって丸6年。先端はあと数百メートルで砂漠に達しようとしている。「ガンベリ砂漠の緑化など不可能だ」と、多くの職員は考えていた。しかし今、作業する眼下に広大な砂漠が展開する。第2期工事が2年前に始まって以来、「ガンベリへ、ガンベリへ」が私たちの合言葉となった。初めは冗談交じりに。目前になった今は真剣に、皆が「ガンベリ」を語る。

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 3月15日朝、シギ村から砂防林を抜け砂漠に出た途端、倒れた男に出くわした。顔を横に寝ているような姿で、頭部に血だまりがよどんでいた。ギョッとして近づいてみると既に死んでいた。50歳前後、右後頭部に裂創がある。地面に流れた血は固まっておらず、体もまだ温かかった。

 恐らく近くの石で頭部を殴られ、即死に近い死に方であったろう。型通りの祈りの後で地方警察に届け出た。だが、みんなまるで物体でも取り扱うように無造作に振る舞う。人々の中には薄笑いの者もいる。

 不審に思い尋ねると、男はガンベリの向こうからやってきたラグマン州のパシャイ部族であるという。襲撃者は同じ部族の者で、復讐(ふくしゅう)殺人であった。死んだこの初老の男は25年前、血気盛んな青年であったろう。ある家族を殺(あや)めた。逃亡したか居直っていたかは知らない。ほとぼりが冷めかけたころ、仕返しに遭ったのだ。このような場合、警察が介入することはまずない。その日、作業現場はこの男のことで持ち切りだったが、翌日には何事もなかったかのように時間が過ぎた。それほど「血の掟(おきて)」は日常的なものである。

 衝撃的だったのは血の掟の現実以上に、死んだ男があまりに安らかな顔をしていたことだった。彼が凶悪な動機で敵を倒したのかは分からない。善人だったか悪人だったかも知らない。この世界で、そうしか生きられなかったのかもしれない。「殺した者は殺されるのが筋だ。何が不条理で何が道理かは天がお決めになることだ」。そう言いたげな死に顔が数日間、脳裏を離れなかった。

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 ガンベリはいま、大規模な送水を目前に控えている。死の砂漠に生命の源を通すのだ。作業員、重機の運転手、そして私たちPMS職員650名、ダンプカー35台、ショベルカー8台、舗装用ローラー4台。毎日黙々と動くさまは、アリが巣をつくっているようだ。熱砂の大地で何事をたくらむのか、天は笑って見ておられよう。

 ここには天・地・人を俯瞰(ふかん)させる壮大な構図がある。人も、動物も、植物も、同じ低みに置かれているのだ。ままよ、熱風の彼方に緑野の蜃気楼を夢見ても、命と平和をめでる神に許されよう。そう実感させる何かがある。今日も職員を叱咤(しった)する大声が、砂漠を越えよとばかりに響き渡る。

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 「アフガンの地で 中村哲医師からの報告」は随時掲載します。


=2009/5/25付 西日本新聞朝刊=

中村先生が実践してきた事業は全て継続し、
彼が望んだ希望は全て引き継ぐ。

ペシャワール会会長 村上優氏 追悼の辞より抜粋